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朝9時頃、首都ラバトへ向けて出発しました。 電車で約1時間の電車の旅行でした。 実は、結構鉄道の旅は、好きなんです。 まあ、1時間では旅と言えるほどではありませんが。 10時過ぎにラバトへ到着。 ![]() おなかがすいたので、何かを食べようかと思うと、目の前に見慣れた店が現れました。 それは、マクドナルドです。 カサブランカにもあったのかもしれませんが、その後に訪れた都市にはなかったので、さすがは首都だなと思いました。 早速、マクドナルドへ! やはり日本にはないものを食べようと思い、スパイシーチキンマックセットを食べました。 味は、ちょっとチリ風味の味で、そこそこ美味しかったです。 おなかも満足したので、中央の大通りムハンマド5世通りを抜け、メディナへ向かいました。 メディナの門を抜けるとラバトにもカサブランカと同じようにスークがあります。 2日目(カサブランカ編)では、スークについてあまり説明をしなかったので、簡単に説明します。 スークとは、モロッコの代名詞を言っても過言ではなく、メディナに行けば大小はあるにしても必ずあります。 原則値札はなく、料金はすべて交渉によって決まります。 そういう意味では、アジアの市場にも似てますね。 食料品(香辛料なども)や雑貨、山岳民族(ベルベル人)の民族衣装&靴&楽器など面白いものがたくさん売っています。 少しくらいアラビア語かフランス語を覚えておくと、とても楽しく買い物ができるでしょう。 ただ、一つの物を買うだけでもパワーが必要です。(ボられないように頑張るため) ![]() 普通の墓地なのですが、モロッコの墓地はどんな感じなんだろうと思い、入ってみることに。 とても広い敷地にぎっしりと墓がありました。 日本にある外人墓地と同じような感じの墓石がたくさんあり、 やはり、フランスの影響が強いんでしょうね。(モロッコは、以前はフランスの植民地だったため、今でもフランス語が普通に通じ、物の名前などにもフランス語のものがたくさんあります。) その墓地から見た景色がとても綺麗だったので、写真を載せておきます。 ![]() ウダイヤのカスバとは、ムワビット朝時代に気づかれた城壁を利用して、17世紀にムーレイ・ラシッドによって建造された要塞らしいのですが、その時代の歴史が良く分かりません・・・。 カスバとは、メディナを監視するための城塞として作られたものみたいです。 カスバには、普通に人が住んでいて、少し迷路っぽくなっています。 その迷路を抜けると、海が見れるナイスビューポイントがあるのですが、先ほどの墓地からの景色のほうがよかったです。 すぐ近くにウダイヤ庭園とウダイヤ博物館があるのですが、博物館はちょうど昼休みの時間だったのでは入れませんでした。 ![]() ハッサンの塔は、高さ44mで世界第3位の高さを誇るのですが、実は未完成なのです。 本当は、88mまで建てる予定だったみたいです。 また、同じ敷地内にムハンマド5世の霊廟も行きました。 ![]() モロッコにいると通りなどでムハンマド5世という名前をよく見ます。 ムハンマド5世とは、フランスから独立を勝ち取ったときの国王で、モロッコの英雄なんですね。 だから、至る所にこの名前がつけられているというわけです。 ここは、そのムハンマド5世の霊廟ということで、実際に石棺があり、見ることができます。(⇒) さすがに、重大な場所だけあって、敷地に入るところに馬に乗った門番がいますし、霊廟の中にも警備員がいます。 この敷地を出るときに、事件発生!と言っても、私ではないのですが。 やはり、ここは観光名所のため、変なガイドがいるんです。 そのガイドが、フランス人?(たぶん)の若いカップルに何かを言ったみたいです。詳しくは、分かりませんが・・・。 そしたら、カップルの男がものすごい勢いで怒り出して、あわや乱闘になるかと思いました。 近くにいたので、かなり焦りましたよ。 結局、彼女がなだめてどうにかなったみたいでしたが、怒りが治まらず門番にもずっと文句を言っていました。 こんな奴入れるなみたいなことを言っていたんだと思います。 ラバトでの見所はほぼ制覇したので、モロッコ最大級の観光都市であるマラケシュに向かうため、電車に乗り込みました。 マラケシュへの電車は、6〜8人掛けのコンパートメントで、赤ちゃん2人を連れた母親とおばあさんの家族、モロッコ人女性(おばさん?)、私が乗っていました。 途中まで家族とモロッコ人女性がずっと話していたので、私はコックリコックリと寝ながら座っていたのですが、家族が降りてしまった後、モロッコ人女性が私に話してきました。 しかし、アラビア語(たぶん)なので良くわかりません。 そしたら、「フランス語はわかる?」って感じで聞かれたので、「ノー。イングリッシュOK。」と答えるとその人は英語ができなかったので、話が続きませんでした。 しかし、せっかくだし何となく話した方がいいのかなと思った私は、持っていた指差会話帳を取り出して話すことに。 とは言っても、それがあるから会話ができるわけではないので、会話帳を教科書にしてアラビア語講座が始まりました。 途中、車掌が切符の拝見に来ると、いきなり「日本人ですか?」と日本語で聞いてきました。 私は、とても驚きながら日本人と答えると、日本語を勉強しているらしく、日本語を話したくてしょうがない感じでした。 その後もアラビア語講座は続き、時間つぶしに頑張って練習していると、先ほど来た車掌が再び現れました。 さらに、もう1人の車掌と鉄道ポリスの人も現れ、このコンパートメントが一気に5人になりました。 どうも車掌の業務が終わったから、くつろぎに来たみたいです。 まあ、日本語を話すチャンスと思ったんだとも思いますが。 ここで、どうしたのかな?って思った人もいると思いますが、その通りです。 私は日本語と英語(カタコト)とハングル(超カタコト)、日本語を話す車掌は日本語の他に英語とアラビア語とフランス語、もう1人の車掌は英語とアラビア語とフランス語、モロッコ女性とポリスマンはアラビア語とフランス語を話します。 つまり、みんなで話ができないんです。 さらに、日本語を話したい車掌が私にどんどん日本語で(を)質問してきますし、持っている日本語の電子辞書の使い方を聞いてきたりします。 また、もう1人の車掌は私に英語でいろいろ話してきて、昔日本に住んでいたモロッコ人に電話して、旅の情報を聞いたらと言ってくれました。 そう思うと、言葉が通じなくても似たような単語もあるし、結構楽しめるもんだな〜って改めて思いました。 ちなみに、日本語を話す車掌は、上原多香子がお気に入りと言っていました。 マラケシュに到着すると、すっかり夜になっていました。 ホテルを探すためにメディナへ行こうとしたら、電車で一緒だったモロッコ人女性もメディナに住んでいると言うことだったので、タクシーをシェアしてもらうことにしました。 旅は道連れなので、ついでにホテルを紹介してもらうと、地球の歩き方にも載っているサハラ砂漠ツアーで有名なホテルアリでした。 本当は、モロッコの民家のようなホテルに泊まろうと思っていたのですが、遅くなってしまったのと砂漠ツアーについて聞きたかったので、そこに泊まることにしました。 私は、日程の都合で1泊2日しか無理のため、ザゴラ(マアミド)までの1泊2日ツアーについて尋ねてみると、そのツアーへ行く人は誰もいないため、明日も明後日もないと言うことでした。 エルフード(メルズーガ)の2泊3日のツアーなら、たくさん申し込んでいるからすぐに手配できると言われたんですが、マラケシュ観光が1日もできなくなってしまうので、残念ながら断りました。 どうしてもサゴラに行きたいのなら、190DH(約22,800円)出せば1人でも連れて行ってくれると言われたのですが、さすがに料金が高いので翌日に他のホテルでのツアーを確認することにして、夕飯を食べにフナ広場(ジャマ・エル・フナ)の屋台へ行きました。 このフナ広場はとても活気(うるさい)があって、ベルベル人(先住民族)の打楽器に合わせたベルベルダンス、コブラ使い、ストリートファイトなんかもやっていて、深夜まで楽器の音が収まらないくらい盛り上がっています。 ただ、ダンスを見てるだけでも外国人と思うと「マニー!マニー!」と言われたりすこともありますが・・・。(なので夜の写真を取れませんでした。) ![]() フナ広場は屋台が有名で、私は、まだ食べていないモロッコの代表的な料理であるクスクスを食べました。 クスクスも2日目に食べたタジンと同じ煮込み料理で、見た感じはご飯の上に肉や野菜が乗っているように見えます。 しかし、ご飯じゃないんです。 スムールと呼ばれる粗粒状の小麦粉を蒸したものらしく、正直言ってあんまりおいしいとは思えませんでした。 クスクスについてはこちらをご覧ください。 今日は、カサブランカ⇒ラバト⇒マラケシュと移動だらけで疲れたため、ホテルに戻るとすぐに寝ました。 |