4日目 日目(2004年2月24日 火曜日)
朝一でザゴラ行きのツアーを申し込むため近くのホテルに行くと、ホテルが提携している旅行会社に電話をしてくれました。
すると、ホテルの人が電話を渡してくるのでどうしようかと思ったのですが、頑張って話すと、ザゴラまで1,000DH(約12,000円)で行ってくれると言うので、そのホテルで旅行社の人を待つことになりました。
約30〜40分待つと旅行社の人が到着。
再度、ザゴラまで行けるかを確認すると、やはりOK!
「やった〜。サハラ砂漠へ行ける!」と喜び、ホテルで両替まで済ませて料金を払おうとするとそこで問題。
「砂漠はどうする?」と言われました。
私は、砂漠でラクダに乗ってテントで一泊というプランと思っていたのですが、どうやらザゴラまでの往復と宿泊だけで、ラクダとかテントは自分で探してということでした。
それなら自分で行くよって思い、ラクダ&テント付きだといくらになるのか確認すると、ホテルアリと同じく1,900DH(約22,800円)かかるということでした。
やはり一人ではとても高いらしいです。
ディスカウントをお願いしたのですが、それでも170DH(約20,400円)までしか下がらず、残念ながら交渉決裂。
仕方がないので、今日、他の人がそのツアーに申し込みするかもしれないから、17時ごろ電話をするということで交渉は終わりました。
結局、この交渉に(電話して待ってる時間も含めて)2時間くらいかかっちゃいました。

スーク(隠し撮り)交渉でちょっと疲れてしまったのですが、ここからマラケシュ観光のスタートです。
マラケシュの観光は、ジャマ・エル・フナから北の世界遺産にも登録されているメディナと、南の史跡地区(メディナの中と言えば中です)があります。
とりあえず、マラケシュのスークはとても有名なので、行ってみることにしました。
スークは、本当にいろいろなものが売っています。
衣類から食料品(香辛料や肉、野菜)、装飾品、家具、楽器、靴、カーペットetcとただ歩いてみているだけでもそれなりに楽しめました。
スークを歩いていると、若者が案内をしてくれると言ってきました。
カサブランカやラバトでもいましたが、やっぱりと思いつつ、お金を払わないという約束でぷらぷら付いて行くことにしたのですが、その若者は特に案内するわけでもなく前をすたすた歩いていってしまいます。
そして、到着したところは???

そこは、革なめし職人地区でした。
革なめし職人地区革なめし職人とは何か今ひとつ分かっていなかったのですが、入り口に入ると親切に英語で説明してくれる人がいたので、なんとなく分かりました。
皮を洗ったり樹脂につけたりして、製品に使えるようになめすみたいです。
あと、たぶんそう言っていたと思うのですが、ここで糊を作っているか、もしくは使っているのかという話があり、それを聞いてアラビックヤマトのアラビックってアラビアのことという事がわかりました。
なんとなく使っていた糊がここでつながったのがとても不思議でした。
ただ、匂いがとても臭いのが辛いです。
ミントみたいな草を渡されて、それを鼻につけて、匂いを紛らわしました。
そして、帰るときに事件が発生!!案内人がお金を要求して来ました。
またかよっと思い、結局払わずに出てきました。
しかし、後で地球の歩き方を見ると、案内人にチップを払うシステムと書いてありました・・・。

その後、まだ案内してくれるのでてくてくと付いて行くと、スークの一番奥まで来ました。ベン・ユーセフ・モスク
グッバ・バアディンそこは、たくさんの観光名所があるため、そこで案内してくれた人とお別れしたのですが、その人はお金を要求してこなかったです。
まずクッバ・バアディンが目に入りました。
これは、ドーム型の霊廟で、12世紀ムラービト朝時代に建てられたらしいです。
このクッバ・バアディンの中から外を見ると先にベン・ユーセフ・モスクが見えました。
見えたので、とりあえず行ってみたいと思ったのですが、ムスリム(イスラム教徒)しか中に入れないみたいです。
ちなみに、このモスクは12世紀に建てられたものを19世紀に再建されたものらしいです。

モスクの中には入れなかったのです、モスクに面したマラケシュ博物館へ行きました。
マラケシュ博物館のパティオ 博物館は、もともと女学校として使われていた場所で、中央にあるパティオ(中庭)がとても綺麗です。
時期により展示物のテーマが変わるみたいですが、今回は、砂漠中にいる人の絵がたくさん展示してありました。
太陽に向かってお祈りしているムスリム(絵画)その中のひとつが気に入ったので、写真を撮っちゃいました。(撮って良かったのかな?)

ちなみに、この写真(⇒)は、どういう状況だか分かりますか?

ベン・ユーセフ・マドラサこの後、ベン・ユーセフ・マドラサにも寄りました。
マドラサとは学校のことで、20世紀の中ごろまでは神学校として使われたみたいです。
ここもマラケシュ博物館同様にパティオがとても綺麗で、イスラム建築の最高傑作と言われています。
実際に見て、モザイク模様のレリーフ彫りが印象的でした。
この写真なんかすごくないですか?
ちなみに、入り口が鍵穴みたいですよね。(どうでもいいことですが。)
壁だけでなく天井にも細かく彫刻がされており、本当にすごいな〜って感じられます。

メディナの観光名所を見た私は、またまたスーク(違う通り)を抜けて、ジャマ・エル・フナへ戻りました。
帰る途中にスークで、ベルベルシューズとベルベル太鼓と小さいタジンの容器(小物入れ)、デザートローズなどをお土産に買いました。
ベルベルシューズ屋やベルベル太鼓を買った楽器屋では、ベルベルウイスキーを頂きました。
ベルベルウイスキーとは、アルコールのウイスキーではなく、モロッコ名物のミントティーです。
これが結構美味しく、この先々でも遠慮なく頂きました。
お土産については、お土産のページをご覧ください。

次に、マラケシュのもうひとつの観光名所である史跡地区へ行きました。
アグノウ門ジャマ・エル・フナから5分くらい歩くと、メディナの玄関と言えるアグノウ門がありました。
アグノウ門は、高い城壁の外へ行くための門で、とてもでかく綺麗な彫刻がされています。
壁の上のほうには、コーランの詩が刻まれていて、それが模様のようになっています。
ただ、昔は死刑になった人の首をさらす場所だったというので、そういうのを聞くといろいろな歴史が感じられます。
サアード朝の墳墓群

アグノウ門を抜けるすぐにサアード朝の墳墓群がありました。
サアード朝の代々の王様が葬られているところで、中には3つの部屋がありました。
3つの部屋はそれぞれイスラム彫刻がとても綺麗で、大理石でできた柱などもあります。
写真は、第2の部屋にある12円柱の間にあるアル・マンスール王の墓です。

その後、ぷらぷら路地の中に入って行くと子供たちが遊んでいました。
そこに、怪しい外国人(私のことです)が声を掛けると、子供たちは無邪気に返事をしてくれました。
やはり子供はいいなあ〜っと思い、一緒に遊ぶことに。マラケシュの子供たち
子供たちは、長縄跳びをやっていたので私も一緒に飛ぶことになったのですが、始めた瞬間「痛い!」と言う声が聞こえました。
もちろん「痛い!」ってことは日本語です。
何が起きたかと言うと、縄跳びが短くて怪しい外国人の頭に当たったんです。
それで、長縄跳びは終了。
一人の子供(右から2番目)は、ストローの先にボールがあって、吹くとボールが浮くやつを持っていて、それを一生懸命私に見せてくれました。
そういう子供たちの無邪気なところを見て、やっぱり昔からの夢である先生になりたいなって思いました。
結局、15分くらい子供たちと触れ合って別れることにしました。
その間に子供たちとちゃんとした会話はできません(言葉が分からないので・・・)でしたが、それでも、とても楽しい時間が過ごせました。エル・バディ宮殿

だいぶ疲れてきたのですが、エル・バディ宮殿へ行きました。
エル・バディ宮殿は、実際に宮殿はなく廃墟となっていて、メキシコなどで見てきた遺跡と言う感じです。
私としては、ずっと同じようなイスラム系の建造物ばかり見てきたので、このエル・バディ宮殿はとても新鮮でした。
もともと遺跡好きですし。
疲れていたこともあったので、ここで休憩も兼ねてかなりくつろぎました。

17時が近づいてきたので、ジャマ・エル・フナに戻りました。
なぜ17時?って思った方、もう忘れちゃったんですか?クトゥビア
朝一でザゴラ砂漠ツアーを聞いたホテルで、他にツアーに申し込みんだ客がいるかを確認するためです。
もし誰かいれば、もうちょっと安い料金でサハラ砂漠へ行くことができます。
ジャマ・エル・フナに到着すると、まだ17時前だったので、近くにあるマラケシュのシンボルのクトゥビアの写真を撮ってから、期待とどうせ無理かなという複雑な気分で、ホテルへ向かいました。
フロントでツアー会社に電話してもらい直接話してみると、申し込み客は0・・・。
やはり、ザゴラへツアーで行く人はいないみたいでした。
なんとなく分かっていたのですが、やっぱりショックを隠しきれません。
モロッコへは、砂漠体験がメインで来たつもりだったので・・・。
これにより、疲れも倍増になったので、ホテルアリに戻り休憩しました。

1時間くらい休んで、旅行再開!
コブラ使い砂漠がなくても楽しまなくてはと気分を切り替え、ジャマ・エル・フナへ行くと、コブラ使いが声をかけてきました。
コブラをこっちに向けてくるので、ちょっとビビって相手すると、「フォト!フォト!」とうるさいです。
どうせ金を要求してくるんだろうと思ったのでお金はないと言うと、OKと言うので写真を撮ることに。
そしたら、案の定「マニー!マニー!」とコブラを持ったまま請求してきました。
ちょっと払えないと交渉していたのですが、コブラを持っているので渋々10DH(約120円)くらい払いました。
そしたら、まだ払えと言ってくるので、逃げちゃいました。

そんな出来事があったので、ジャマ・エル・フナにいれなくなった私は、適当にぷらぷら歩いていると、足のちょっと悪いおじさんが英語で話しかけてきました。
やることがなかったのでおじさんの相手をすると、「砂漠に行くのか?」と聞かれました。
私は、「時間がないから1泊2日のザゴラツアーでないといけないんだけど、ツアーがなくって・・・。」と伝えると、大丈夫だから着いて来い行って歩き出しました。
一応、ホテルアリは無理だったと伝えると、他のホテル2件に案内してくれて、確認してくれました。
結局、どこも駄目だったんですけど、親切なおじさんでした。ありがとう!

あたりも暗くなってきたので、ジャマ・エル・フナに戻り、3日目と同様に屋台で夕飯を食べました。ハリーラ
前日行ったところと同じ屋台で、今度はハリーラ(とケバブ)を食べました。
ハリーラとは、日本で言えば味噌汁的な存在のスープで、モロッコ人の母親の味です。
味付けは、トマト風味ですが。
私は、ハリーラがとても気に入ってしまい、この後も良くハリーラを食べました。(値段も安いんです)
ハリーラについては、こちらをご覧ください。

今日は、だいぶ歩いてかなり疲れたのでホテルアリに戻りました。
最後の悪あがきで、今日にザゴラ砂漠ツアーに申し込んだ人がいないかを確認しましたが、やはりいません・・・。
これで、本当に私の砂漠行きがなくなりました。
そうなると、予定がすべて変更になります。
今後は、マラケシュにもう1泊した後早めにカサブランカへ帰るか、少しでも砂漠の雰囲気を味わうために、マラケシュと砂漠方面の間にあるオートアトラス(山)越えをしてワルザザードという街へ行くかなどを部屋でずっと考えました。
結局、どうするか決められないまま寝ることにしました。


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