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2007年8月8日(水)モロッコフェズ(滞在地)
世界一周95日目

フェズの迷路であるメディナ(フェズ・エル・バリ)を散策するために、ホテルを出発しました。
出発してちょっと歩いていると、早速道が分からなくなってしまいました。
ただ道なりに歩いているだけなので、迷うことは無いはずなのですが、どこまで歩いているかどうかが全然分からりません。
それでも適当に道なりに進み、途中で人に聞いたりしながら、路地をうろうろとしていました。

すると、突然トイレに行きたくなりました。
それも大!
かなりピンチだったのですが、ホテルに戻るには、難しい場所にいました。
路地にあるお店には、なかなかトイレがある店はなく、もうすぐアウトというところで、喫茶店を発見しました。
喫茶店でもトイレが無いところが多いので、ここはどうかと尋ねると、アラブ式の汚いトイレがちゃんとありました。
綺麗とか汚いとか、そんなことはどうでも良く、慌てながらトイレに駆け込みました。
もちろん、トイレットペーパーは用意されてなかったですが、トイレットペーパーを持参していたので、どうにかなりました。
やっぱり、トイレットペーパーは必需品ですね。
その後は、そのままお店を出るのも悪いので、100%バナナジュースを飲んでから再出発をしました。

そして、最初の目的地であったネジャリーン広場に到着しました。
広場と言っても、ヨーロッパの中心地のような広場ではなく、ちょっとした空間という感じです。
隣りには、家具の工場と言うか作業場の通りがあり、そこも観光名所になっているようでした。

ネジャリーン博物館広場には、
ネジャリーン博物館があります。
この博物館は、木の博物館のようで、1990年にできたようです。(フランス語の説明なので、間違っているかもしれません)
丸太や農耕具、壁・柱・家具(モザイク模様)など発掘された木で作られたものが展示されていました。
結構昔のものもあるのですが、モザイク模様などは綺麗でした。
入口には大きい門があり、中央が吹き抜けのパティオ(中庭)になっていて、どちらかと言うと、建物のほうが見所のようでした。

その後も路地をうろうろしていると、ムーレイ・イドリス廟がありました。
これは、メクネスにもありましたね。
モロッコでは、ムーレイ・イドリスがとても重要な人物のようなので、そのうち、この人について調べてみたいと思います。
このムーレイ・イドリス廟は、メクネスとは異なり、イスラム教徒しか中に入れないようになっていましたが、中をのぞいてみたら、普通のモスクのような感じでした。
おじちゃんが寝ていたりするのは、エジプトのモスクと同じです。

次に、12世紀に建てられた(と思う)カラウィーンモスクへ行ってみたのですが、何と修復中。
門の隙間から目で左官?のおじちゃんに合図をしたのですが、ダメと言われてしまいました。
仕方が無いので、近くにあったアッタリーンマドラサへ行ったのですが、そこも修復中でした。
だいたいこの辺りに見所が集中しているようです。

その後もひたすら路地を歩きました。
どこをどう歩いているか分からないのですが、あんまり気にしませんでした。
何となくの方向で歩いていけば、たぶん戻れると思ったからです。
最悪分からなくなっても、ホテルは、ボウジューン門のすぐ近くだから、ボウジューン門を探せばどうにかなりますしね。

この間に、いろいろな人から声をかけられました。
その中には、普通に好奇心から声をかけてくる人やどう見ても怪しい感じの人などいろいろな人がいました。
そういう時に、結構日本語で声をかけてくるんですよね。
そういう奴のほうが怪しかったりしますが、それだけ日本人が多く来ているというのが改めて分かりました。

更に、ダッバーギーン(タンネリ)路地をふらふらしていると、見たことがある場所へ戻ってきました。
ここからなら皮なめし街である
ダッバーギーン(地元の人はタンネリと言っていた)が近かったので、ちょっと寄ってみることに。
近くまで行くと、怪しい日本語をちょっとだけ話してくる奴が現れ、ダッバーギーンを案内すると言ってきます。
ずっと拒否をしていたのですが、お金は一切要らないと言うので、お願いすることにしました。
ダッバーギーンに入る前に、カーペット屋に連れて行かれそうになったのですが、それを拒否すると、思った以上に簡単に諦めます。
ダッバーギーンへ入っても普通に案内してくれたので、ひょっとして良い奴?って思い、疑ってちょっと悪かったかな〜なんて思いながら外に出てくると、何か物をくれと要求してきました。
それを聞いて、私は、思わず笑ってしまいました。
そういう作戦があったのか〜って。
確かに、これならお金を要求していないですよね。
結局、そいつの写真を撮って送るということになったのですが、他の人がいろいろと話してきたので、そっちに便乗して、そいつの住所を聞かずにうまくかわしました。

そういう変な奴がいっぱいいますが、特に嫌になっていない自分がいます。
だいぶモロッコを楽しめるようになってきたのかもしれませんね。

最後に、ブーイナニヤマドラサの前を通ったので、そこに入ってみました。
マドラサとは、イスラムの学校のことです。
中は、パティオになっていて、奥に教室のようなものだと思うのですが、低机が置いてありました。
今現在、学校としては使っていないと思いますけど。

これで、メディナ(フェズ・エル・バリ)の観光は終わりにしました。
知らない間に、4時間くらいうろうろしていたので、かなり疲れました。
それでも、もうちょっと頑張って王宮へ行ってみました。

王宮は、フェズ・エル・何とかのほうにあるのですが、入口で警官と兵隊のような人がガードしていて、中に入ることができませんでした。
外側から写真だけでもと思ったのですが、それもダメとのこと。
そして、この後に、フェズ・エル・何とかへ行こうと思い、入口の警官に尋ねると、カメラを見せてくれと言われました。
えっ?って思いながらもカメラを見せると、今までに撮った写真を見せて欲しいと言うのです
何かまずいもの撮ったかな〜って心配したのですが、その警官は、ただ写真が見たかっただけのようでした。

笑顔で警官とお別れをして、フェズ・エル・何とかに入ったのですが、こちらは、あまり観光客がいません。
お店も観光客慣れしている感じではなく、私が通っても特に何もありませんでした。

適当に歩いて、フェズ・エル・何とかを抜けると、バスターミナルがありました。
このバスターミナルがどこなのか全く分かりません。
しかし、来た道を戻るのは何となく嫌だったので、新市街のほうへ向かって歩き出しました。

路地ではなく、普通の道を普通に歩いていると、急に観光客が増えてきたような気がしました。
新市街に行くこんな普通の道なのに何でかな?って思いながら、そっちの方向へ行ってみると、なぜかメディナに戻ってきていました。
それも、ここは見覚えがあると思ったら、ホテルのすぐ近くでした。
新市街に向かっていたはずだったんですけど・・・。
何でメディナに戻ってきてしまったのかは分かりませんが、結果オーライと言うことで、ホテルに戻りました。

ホテルに戻ると、急に疲れが出たようで、3時間くらい寝ていました。
今日は、ひたすら歩いていたら、思った以上に疲れていたようです。
夕食は、ホテル前のレストランで済ませ、その後は、ホテルでゆっくりと過ごしました。

ホテルのレセプションの人や路地で会った人の情報によると、マラケシュへ行かなくてもサハラ砂漠方面へ行けることが分かりました。
そのため、明日は、新市街のツーリストインフォメーションへ行って、サハラ砂漠方面への行き方を聞いてこようと思います。
これによって、フェズの後のルートが決まるって訳です。
最初は、フェズの後にカサブランカを抜けてマラケシュへ行ってからサハラ砂漠と思っていたのですが、フェズからサハラ砂漠を抜けてマラケシュへ行けるとなると、だいぶ旅程が変わってきますね。

<今日の支出!>

ホテル(1泊):100DH
朝食セット(クレープ、パン、オレンジジュース、ミントティー):20DH
インターネットカフェ:10DH
インターネットカフェ:2DH
バナナジュース:6DH
ネジャーリン博物館:20DH
コカコーラ:5DH
ブーイナニア・マドラサ:10DH
チーズオムレツ:20DH
コカコーラゼロ:10DH
アイス:1.5DH
コカコーラゼロ:6DH
セットメニュー(ハリーラ、牛肉タジン、スイカ):40DH
ファンタレモン:10DH

合計:260.5DH(モロッコディラハム)約3,855円(1DH=14.8円で計算)


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