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2007年10月30日(火)![]() |
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世界一周178日目 今日は、レコレータ地区へ行くことにしました。 レコレータ地区とは、ブエノス・アイレスの高級住宅街です。 ここに家を持つのは、ブエノス・アイレス住民にとって、ステータスのようです。 日本で言えば、田園調布や芦屋ってところだと思います。 レコレータ地区へ向かっている時に、飲み物などを買おうと商店に入ったのですが、そこのレジのおばさんが東洋人でした。 私がレジへ行くと、ずっと私の顔を見ています。 たぶん、東洋人が来たのが珍しく、同じ東洋人だから気になったんだと思います。 そして、ちょっと間があってから、「日本人?」とスペイン語で言われたので、そうだと答えたら、それで終わりました。 たぶん、そのレジのおばさんは中国人で、同じ中国人かと思ったのかもしれませんね? それなのに、反応が中国人と違うから、日本人と思ったのかもしれません。 ちなみに、ブエノス・アイレスは、他の南米の国よりも、更に東洋人がいません。 レコレータ地区に到着すると、まずは、聖母ピラール聖堂へ行きました。 なかに入ってみると、ちょうどミサの真っ最中でした。 何とも入り辛い雰囲気でしたが、なんちゃってクリスチャンとなり、ミサに参加してみました。 牧師の話は、スペイン語のため全く分かりませんが、雰囲気は伝わってきました。 ![]() なぜ墓地が名所なのかと言うと、アルゼンチンは、墓のある場所によって階級が評価されるらしく、このレコレータ墓地がアルゼンチンの中で1番の墓地らしいです。 つまり、それだけ凄い人の墓地がたくさんあるということです。 歴代の大統領の墓もここにあり、エビータとして有名な元大統領夫人の墓もここにあります。 また、お金持ちの一般人もここに眠っているので、医者が多かったような気がしました。 墓地の中は、墓と言うより、小さい教会や家が並んでいるという感じで、日本の墓地とは、雰囲気がかなり違います。 私が訪れた時に、ちょうど葬式が行われていました。 棺が人力車で墓に運ばれて、後を大勢の親族か何かが歩いていきます。 そこで思ったのですが、日本の葬式は、必ず黒の喪服を着ていると思うのですが、ここでは、普通の服を着ている人が多かったです。 さすがに、目立つ服ではなかったのですが、ジーンズの人なども普通にいました。 この辺りが、文化の違いかもしれませんね。 この後に、国立美術館を見て、レコレータ地区を終わりにしました。 国会議事堂へ行こうと思い、バスに乗り込んだのですが、バスは、小銭しか受け付けないようです。 私は、コインを全く持っていなく、札も10$札以上しか持っていませんでした。 どうしようと思ったのですが、既にバスは動き出しています。 あたふたしていたところ、アルゼンチン人の青年が私の分のチケットも買ってくれました。 バスが国会議事堂前に到着すると、その青年も降りました。 青年は、ここが目的地だったのか私を心配して一緒に降りてくれたのかわかりませんが、同じ場所で降りたので、私が何か買ってお金を返すと言ったのですが、いらないと言います。 結局、知らない青年に、おごってもらってしまいました。 ちなみに、バス代は、0.8$(日本円で約32円)です。 近くで昼食を食べた後、国会議事堂を見てから、地下鉄に乗り込みました。 チケットオフィスでチケットを買おうとすると、なぜか無料です。 意味がわからなかったのですが、改札を通って良いと言われました。 しかし、本当にそのように言っているのか、スペイン語のために心配で、改札前でちょっと戸惑っていると、他の客が無料と言ってきます。 なぜって聞こうと思ったのですが、たぶんその回答がわからないと思ったので、何も考えずに地下鉄に乗り込みました。 今日は、バスといい、地下鉄といい、無料の日のようです。 バスの場合は、意味合いが違いますけど。 休憩を兼ねて、カフェ・トルトーニへ行きました。 このカフェは、1853年に創業したブエノス・アイレス最古のカフェで、ちょっとした観光名所になっています。 中に入ると、中高年の男性がウェイターとしていたのですが、歴史があるからか、私が東洋人だからかわかりませんが、私を相手にした年配のウェイターは、かなり態度が悪かったです。 別に何かされたわけでは無いのですが、明らかに他の西洋人客への対応と違っていました。 正直、何を気取っているんだ!と突っ込みたかったですが、こんなところで喧嘩を売っても仕方が無いので、コーヒーを飲んで退散しました。 その後は、街をぷらぷらしました。 昨日閉まっていたカビルドの中にある5月革命博物館へ行ったり、プエルト・マデーロ地区へ行ったりしました。 プエルト・マデーロ地区とは、港のある地区で、日本の横浜と同じように赤レンガ倉庫がレストランやショッピングモールとなっていました。 雰囲気の良い場所で、誰かと一緒なら、レストランに入っても良いと思いました。 料金は、結構高そうでしたけど。 ホテルに戻り、1時間くらい休憩しました。 いつもなら、このままホテルでくつろいで終わりですが、今日は、昨日申し込んだサッカーを見に行きます。 ![]() 迎えの車は、補助席を入れて11人乗りのワゴンでしたが、客9名と係員2名でちょうど11人でした。 つまり、座席がギリギリで、とても狭いのです。 それに加えて、この試合のせいで、道が大渋滞! 更に、追い討ちをかけるように、私の隣に座ったアメリカ人2人組のオヤジがずっと大きな声で話して、うるさいの何のって、ちょっと切れそうになりました。 このアメリカ人2人組みは、私のイメージ通りのアメリカ人で、ゴリラのような風貌で、アメリカ人が一番偉いと思っている感じのタイプです。 なぜなら、渋滞のせいもあって、2時間かかってスタジアムにやっと着き、これからスタジアムの中に入ろうとした時に、ビールを飲みたいと勝手に2人で行動し始めました。 結局、座席で合流するということで話がついたのですが、試合が始まっても、アメリカ人2人組みが席に現れません。 結局、後半になっても現れないため、ガイドのお兄さんが探しに行くことになりました。 ガイドのお兄さんが探しに行ったおかげで、どうにか試合終了時に合流できたから良かったですが、本当に、アメリカ人の身勝手な行動に腹が立ちました。 話は少し戻り、21時15分頃にリーベル・プレート対ディフェンソール・スポルディングの試合が始まりました。 キックオフ予定時間は、21時だったのですが、ブラジルもそうでしたが、南米は、結構いい加減のようです 試合は、最初は、ディフェンソール・スポルディングが押していたのですが、徐々にリーベル・プレートが優勢になってきました。 しかし、今ひとつ決定的なチャンスまで行きません。 そして、そのまま前半終了! アルゼンチンの強豪であるリーベル・プレートもそんなに強くない感じがしました やはり、良い選手がヨーロッパへどんどん行ってしまうから、残っている選手というのは、これからの選手が多いのかもしれませんね。 結局、後半も前半と同じように、何度か見せ場がありましたが、特に動きがなく0-0の引き分けでした。 引き分けにもかかわらず、リーベル・プレートのサポーターが喜んでいたので、既にアウェイで試合があって、勝っているか引き分けでアウェイゴールをあげているのかもしれませんね。 そうだとすると、この試合は、サウスアメリカカップというカップ戦なので、2試合のトータルで勝者が決まる仕組みなので、リーベル・プレートが勝ちというわけです。 帰りのワゴンも行きと同じ配置のため、またアメリカ人2人組みのオヤジが隣です。 そのオヤジの1人が、私に話しかけてきたので、一言答えた後、ちょっと皮肉のつもりで、”私は、今眠りたい。”と伝えたのですが、全然理解してもらえずに、ずっと大声で話し続けていました。 私としては、少しは話すのをやめるか、せめて小声で話すと思ったのですが・・・。 本当に、このアメリカ人2人組を殺してやろうかと思うくらいイライラしていましたが、どうにかアメリカ人2人組のおじさんが降りるまで我慢しました。 ちなみに、このアメリカ人2人組みは、ここでも我が物顔で、途中の繁華街のようなところで急に降ろして欲しいと言い出しました。 改めて、アメリカ人の印象が悪くなりました。 ホテルに戻ると、0時30分くらいでした。 帰りは、渋滞がなかったと言っても、1時間以上ワゴンに乗っていたということです。 かなり疲れてしまったので、すぐに寝ることにしました。 <今日の支出!> コカコーラセロ:2.5$ ポテトチップス:2$ 生絞りオレンジジュース:5$ ミラネーザ・デ・ポジョ(鶏肉のミラノ風カツレツ)セット:15$ ミルクコーヒー:6.5$ チュロス(2本):2.4$ チップ:0.1$ カビルド5月革命博物館:1$ コカコーラセロ:2.5$ ハンバーガー:5$ コカコーラ:4$ 合計:46$(アルゼンチンペソ)⇒約1,748円(1$=38円で計算) |
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