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2007年6月13日(水)![]() |
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世界一周39日目 朝5時半に起きて、ペトラ遺跡へ行くために動き出しました。 ホテルの入口に行くと鍵が閉まっている・・・。 昨日、早朝に出て行くと伝えておけば良かったと今更ながら後悔したのですが、言葉が通じないので同じだったかもしれませんけど。 良く見ると、入口のところにホテルマンが寝ていたので、起こしちゃまずいな〜って思ったのですが、物音でちょうど起きてしまったようだったので、鍵を開けてもらいました。 バス乗り場まではタクシーで行こうとすると、他の客と相乗りさせられました。 後部座席に人が乗っていたので、乗ってもOK?って尋ねると、ノープロブレム。 料金はどうなるのか気になったのですが、私が降りるジェット・バスのオフィスまで来たら、アズユーライクみたいなことを言われました。 そんなの困ると思ったのですが、だいたいで1JDを払いました。 6時ちょっと前にジェット・バスのオフィスに到着すると、今、オフィスが開いた様子です。 バスのチケットを買ったときに、15分前に来るようにと言われたのですが、チケットを見ると、6時集合とわざわざ英語で手書きしてくれていたので、遅れないように6時に来たのですけど。 結局、オフィスで30分待って、予定通り6時半にペトラへ向けて出発しました。 バスは、トイレ付きで冷暖房付きのデラックスバスでしたが、乗客は、何と私だけ。 水曜日にペトラ遺跡に行くヨルダン人はいないということのようです。 そして、運転手と私の2人という何とも贅沢なバスの旅がスタートしました。 少し進むと、休憩タイムがありました。 私は、朝食を食べてなかったので、朝食と一緒にチャイを2杯飲みました。 すると、予想よりはるかに高い料金にびっくりして、何がそんなに高いの?って確認をしてみると、チャイが1杯1JDとのこと。 アンマンの街中では、1杯0.2JDくらいだったので、高くても0.5JDくらいだろうと思っていたので、正直、チャイを2杯飲んだのは失敗でした・・・。 その後は、昨日の死海と同じように、周りは土漠というような道をひたすら進んでいきます。 結局、休憩もあったため、4時間くらいでペトラに到着しました。 降りる時に、出発は17時のため遅れないようにと言われたのですが、そんなに大きいの?って感じで聞いていました。 なぜなら、ペトラ遺跡という名前は知っていたのですが、ペトラ遺跡とはどんなものか?ってことを全然知らなかったんです。 ちなみに、ペトラ遺跡がヨルダンにあるということも世界一周に旅立ってから知りました。 ペトラ遺跡の前にインフォメーションセンターがあったので、そこでパンフレットを貰い、その後に、入口前のお土産屋でコーラを買おうとすると、お店の中に入るように言われました。 お土産の勧誘だと思い、見るだけと言って中に入ると、その店員は、今日ペトラに泊まるなら、私と一晩どう?って誘ってきました。 これだけ聞くと、国によっては良くある話かもしれませんが、その人は、男性なんです。 自分はゲイだと言い出し、何回も誘ってきました。 私は、本当に困ってしまい、何度も女性が好きと答えると、冗談だと言って開放してくれましたが、本当に冗談だったのかどうか定かではありません。 男性から誘われたのは、生まれて初めてだったので、ちょっと怖かったです。 自分が第3者だったら、笑い話なんですが、全然笑えませんでした。 ペトラ遺跡に入ると、スケールの大きさにびっくりし、どのくらい大きいのかパンフレットを見てみたら、何か文字が違うような・・・。 何語?って思って、よ〜く見てみると、スペイン語のパンフレットでした。 何で英語のをくれないの?って思ったのですが、とにかくパンフレットの地図を見てみると、とても広いことが分かりました。 ちなみに、帰りに英語のパンフレットが欲しいと伝えると、スペイン語とドイツ語しか余っていないと言われました。 少し歩くと、馬引きの人がいて、途中まで馬に乗りながら行くことができるというので、試しに乗ってみることに。 馬引きの人は、エロい男性で、ヨルダンの女はどうだ?彼女はいるのか?って、そんな話ばかりしてきます。 更に、韓国人女性が通りかかったら、韓国人のアソコは小さいだの何なのと、ちょっとウザくなってきました。 ただ、その馬引きの人が馬を引きながら進むため、なかなか目的地まで到着できません。 正直、あまり面白くない乗馬体験でした。 ![]() そこを馬車(ドンキー?)が通り抜けたりして、ちょっと危ないですが、迫力がありました。 周りを見ながら歩いていると、オーストラリアから来たという青年が写真を撮って欲しいと言ってきました。 もちろん、快く彼のカメラで写真を撮ってあげると、何回も頼まれてしまったので、ちょっと面倒になってきました。 彼は、お互い1人同士一緒に行きたい感じでしたけど、私は、早めに歩いて先へ行ってしまいました。 岩壁の道を抜けると、広々とした大地に岩の石窟神殿のようなものがありました。 どれもスケールが大きく、これらが紀元前か紀元後すぐくらいにできたというのだから、本当に凄いですよね。 石の文化というのは、日本には無い文化なので、余計に凄く感じます。 自由奔放にどんどん進んで行くと、レストランが出てきました。 ここがどうやら休憩地点のようです。 (その前にも喫茶的なレストランはありましたが) 休憩しようかどうか考えながらレストランを見てみると、日本人の団体旅行客がいました。 みんなリタイヤ後って感じの人たちでしたが、ある意味、その歳になって、こんな中東の果てまで来る気力に感動しました。 自分がリタイヤした後に、中東へ行こうという気力があるかな〜。 地図を見直し、現在地を確認すると、最終の石窟神殿を残すのみということが分かりました。 後ちょっとと思ったので、休憩をせずに出発すると、そこからは、かなり険しい道でした。 岩山を登るという感じで、暑さもあって疲れも出てきます。 ただ、暑さに関しては、インドからやってきた私は、そんなに感じませんでした。 ![]() かなりハードな道だったので、そこにあるお店でちょっと休憩。 10分くらい休憩したときに、最初のほうで会ったオーストラリア人がやってきました。 一応、挨拶をすると、奥の展望台に行かないの?って言われたので、これから行くと答えると、だったら一緒に行こう!と誘われました。 展望台へ行くと、もちろん写真を撮ります。 またまた写真を頼まれたのですが、何回撮っても気に入らないらしく、4〜5回は撮り直しました。 やっとOK!が出たのは良いのですが、やっぱり面倒臭い。 とりあえず、最終地点のお店に戻ると、日本人の団体客がちょうど到着していました。 添乗員の人と話すと、エジプトは良かっただの中米も良いだのという話になって、私は、半年くらいで世界一周をするつもりと伝えると、半年も1年も変わらないんじゃない?って突っ込まれてしまいました。 そんなことを言われると、正直、ちょっと迷ってしまいます。 日本語での会話に満足して、オーストラリア人を見てみると、ぐったりとベンチで横になっていました。 これは寝かせておいてあげたほうが良いと思い、1人で先に行くと伝えると、一緒に行こうと誘われました。 ちょっと考えましたが、これも縁と思うことにして、一緒に行くことにすると、彼も世界一周中ということがわかりました。 それも、4年間かけて世界一周をしていて、残りは、インド(バンガロールで半年くらい働くとも言っていた)へ行ってから、オーストラリアに帰るとのことでした。 4年間という期間に唖然として、私がしている世界一周がとても小さいことに思えてきました。 ちなみに、彼もワンワールドの世界一周航空券を使っていると言っていました。 (世界一周航空券の期限は1年のため、2年分を買って、残りは、その都度航空券などを買って動いているそうです) 彼の名前は、アンドレ君。 年齢は聞かなかったのですが、見た目は、あまりオーストラリア人ぽくありません。 なぜかと言うと、チリ人とペルー人のハーフで、生まれ育ったのがオーストラリアだそうです。 そのため、英語とスペイン語のバイリンガルらしいですが、バイリンガルよりもっと凄い能力?権利?を持っていました。 それは、国籍を3つも持っていたのです。 母親の国籍であるチリと生まれた場所のオーストラリア、大学時代に1年間スペインにいたため、スペイン国籍も取得しているとのことです。 日本人は、1つの国籍しか持てないので、ありえない話にびっくりしました。 これは、聞かなかったのですが、どこの国のパスポートで旅行しているのかとても気になりました。 たぶん、オーストラリアだと思いますが。 アンドレ君が私のつたない英語に付き合ってくれたため、いろいろと会話をすることができました。 アラビアについての話やお互いの次の国であるエジプトやインドの話、日本や日本人の話、なぜ私が世界一周のルートにオーストラリアを外しているかetc。 たぶん、アンドレ君は、かなり分かりやすい英語でゆっくりと話してくれていたんだと思います。 ただ、彼の英語もオーストラリア訛りだったので、今日=トゥダイとなっていて、時々、えっ?て思うこともありました。 私が、人の英語をけなせるほどの身分ではないんですけどね。 結局、往復5時間くらいかけて入口に戻ってきました。 アンドレ君は、この後アンマンに来るということなので、ホテルの名刺を渡し、アンマンでの再会を約束して、この場で別れました。 もう会えないかもしれないけど、つたない英語に付き合ってくれてありがとう! 最初は、面倒臭いと思ってごめん。 時計を見ると、15時頃。 バスの時間が17時のため、思った以上に時間が空いてしまいました。 バスの時間が心配だったので、早めに帰ってきたのですが、これだったら、もっと休憩を挟んで帰って来れば良かったです。 仕方が無いので、お土産屋でジュースでも買おうとすると、高いんですね。 遺跡内のお店も全部そうですが、ここは、世界有数の観光地であるため、ペトラ料金になっているんです。 街中では、0.2や0.3JDで買える飲み物が全て1JDとなっていて、調子に乗ってジュースや水を飲んでいると、思った以上にお金を使ってしまいます。 インドに比べれば暑くないですが、暑いと言えば暑いので、やっぱり飲み物を買いたくなってしまうんですよね。 ということで、知らない間に、結構お金を使っていました。 バス待ちで暇なため、お土産屋の前にいたら、お土産屋の店員がラテン系の言葉で説明をしているのが分かりました。 その人は、私とは英語で話をしていたし、何ヶ国語を話すのか気になって聞いてみると、何と6ヶ国語も話すそうです。 英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、アラビア語で、日本語もちょっと分かると言っていましたが、その人の日本語は、何を言っているかさっぱり分かりませんでした。 ちなみに、その人と隣のお土産屋の店員は、ボディービルダーだそうです。 17時なり、バスに乗ってアンマンへ戻りました。 行きと同じ店で、休憩タイムがあったのですが、そこに死海グッズが売っていました。 死海のパックは美容に良いというのは、昨日の死海で聞いていましたが、商品として泥パックやクリームなどが売っていたのです。 話を聞くと、アンマンのダウンタウンでは売っていないとのこと。 そんなことを聞くと、つい欲しくなってしまいますよね。 と言っても、私が使うのではなく、お土産としてですが。 死海グッズの担当者は、ちょっとだけ日本語を話せたため、いろいろと確認をして、結局、泥パックとハンドクリームを買いました。 すると、その担当者が、2個買うと1個おまけと日本語で言い、もう1つハンドクリームをくれました。 この担当者の感じだと、この店は、日本のツアーで良く使われる店ということがわかります。 やっぱり、ペトラは、世界有数の観光地のため、アンマンと違って日本人が多く来ているってことのようです。 ペトラ遺跡でも、中国人?とは聞かれずに、日本人?って聞かれましたし。 アンマンに戻ってきて、夕飯にホンモスを食べてから、ホテルに戻りました。 このホテルは、ホットシャワーが勢い良く出るため、とても助かります。 疲れた体をホットシャワーで洗い流し、すっきりとした体で寝ることにしました。 しかし、ペトラがとても埃っぽいこともあって、のどが完全にやられてしまい、せきが止まらなくなってきました。 なかなか止まらないせきに悪戦苦闘しつつ、今後の世界一周について考えながら、眠りにつきました。 <今日の支出!> タクシー:1JD ミネラルウォーター:0.25JD チャイ:0.2JD オムレツ&チーズ:3JD チャイ(2杯):2JD ペトラ遺跡:21JD コカコーラライト:.1JD 乗馬:3JD ミネラルウォーター:1JD コカコーラライト:1JD ミネラルウォーター:0.5JD ペプシMAX:1JD アイスクリーム:1JD 死海泥パック:10JD(お土産用) 死海ハンドクリーム:8JD(お土産用) ※泥パックとハンドクリームを買ったら、もう1つハンドクリームをおまけでくれた。 タクシー:1JD ホンモス:0.55JD コカコーラ:0.25JD ホンモス屋が間違えた?:△0.1JD ミネラルウォーター:0.35JD 合計:56JD(ヨルダンディナール) ⇒ 約10,080円(1JD=180円で計算) |
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