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2007年10月14日(日)ブラジルサン・パウロ(滞在地)
世界一周162日目

カテドラル・メトロポリターナ今日は、この東洋(日本)人街から脱出し、サン・パウロの街を歩いてみることにしました。
最初に向かったのは、セー広場。
サン・パウロの中心地で、サン・パウロの0地点の場所です。
このセー広場の目の前に、
カテドラル・メトロポリターナがあります。
このカテドラル・メトロポリターナは、リオ・デ・ジャネイロのように斬新のものではなく、普通の教会でした。
歴史的な教会かと思ったのですが、41954年にできた比較的新しい教会でした。
昨日、リベルターデの街を歩いていた時に、大きな教会がちょっと先にあると思っていたのですが、それがこの教会だったようです。
リベルターデからセーまでは、地下鉄で1駅なのですが、かなり近く、普通に歩いけました。

その後も、サン・パウロの街を把握するために、レプブリカ広場へ歩きました。
なぜレプブリカ広場を目指したかと言うと、そこにツーリストインフォメーションがあるはずだからです。
レプブリカ広場へ向かって、途中までは順調に歩いていたのですが、どこで間違えてしまったのか、別の方向へ歩いていることに気が付きました。
相変わらずの方向音痴に、自分自身嫌気がさしますね。
しかし、街自体が特に大きくないので、すぐに軌道修正をして、レプブリカ広場へ向かいました。
歩いている時に感じたのですが、サン・パウロは、南米一の都市のため、高層ビルなどがたくさんあるのですが、その分、浮浪者が多かったです。
夜歩いたら、ちょっと怖い雰囲気の道もありました。

レプブリカ広場に到着すると、日曜日だったので、蚤の市がやっていました。
主に、絵画が中心でしたが、絵画以外に訳のわからない物もたくさん売られていました。
それらを見ながらツーリストインフォメーションを探していたのですが、一向に見つかりません。
一周したのですが、結局ありませんでした。
そこで、ポリスに英語が話せるかと尋ねると、話せないとの回答でした。
それならば、スペイン語は話せるかと聞くと、これもダメのようした。
どうしようと思いつつも、英語とスペイン語を適当に混ぜて言ってみたところ、どうにかわかってもらえたようで、ツーリストインフォメーションの場所を教えてもらいました。
ツーリストインフォメーションは、この広場からちょっと離れた所にあったようです。

地図をゲットした後は、お勉強タイムです。
今日は、日本人の移民について、勉強しようと思いました。
日本人がどうして、どのようにブラジルに来て、どのように生活をしてきたのかを知りたかったのです。

移民博物館まずは、
移民博物館へ行きました。
ここは、日本人だけでなく、世界中から来た移民についての博物館です。
実際に、1978年まで移民の収容所として使われていたらしいです。
移民大国ブラジルは、日本人だけでなく、たくさんの移民を受け入れているようです。
当時の資料の中には、日本人の移民許可書や日本帝国のパスポートなどもありました。

移民は、船でサントス港にやってきて、移民列車(蒸気機関車)でサン・パウロまで運ばれて、ここの移民収容所へ連れてこられたみたいです。
この博物館で、移民列車の復刻版に乗れるということだったので、乗ってみることにしました。
車掌が現れ、実際に移民が連れてこられた状況などを説明しているのですが、ポルトガル語のみなので、何が何だか全くわかりません。
それでも、適当に聞いていたところ、移民列車は出発しました。
と言っても、超低速で、すぐそこまで行って引き返すだけでしたけど。
ただ、この時に思ったのですが、私は、生まれて初めてちゃんとした蒸気機関車に乗ったような気がします。
日本では、秩父くらいでしか、蒸気機関車って走っていないですよね?

なお、ここでは、移民のデーターベースがあり、何年くらいにどの国から来た何々さんと検索すると、その人の情報が出るそうです。
私は、特に移民の知り合いがいなかったので、調べませんでしたけど。
とにかく、いろいろと考えさせられる博物館でした。

ブラジル日本移民史料館次に、
ブラジル日本移民史料館へ行きました。
こちらは、日本人について特記しているため、とても良くわかります。
もちろん、日本語でも書かれていますし。

ここで、いろいろとわかったのですが、日本人は、凄いとしか言いようがありません。
過酷な条件に耐えながら、自分達のコミュニティーを形成したり、農協や土地に合う新種や品種改良、工作方法などを考えたりと、今のブラジルの農業の基本は、日本人移民が作ったと言っても過言ではないようなのです。
更に、勤勉な日本人移民は、ブラジルの人口の1%くらいしかいないのに、あらゆる分野で活躍をしているとのことでした。

私は、戦後の厳しい日本の状況から脱出するために、ブラジルへ行った人がほとんどだと思っていたのですが、そういうわけではないようですね。
戦前からたくさんの日本人移民がいたようです。
最初の移民は、奴隷制度が廃止になったため、奴隷に代わる労働者の確保という意味合いがあったらしいので、生活は、奴隷まではいかなくても、かなり過酷なものだと想像できます。
何で、当時の外務省は、ブラジル(と言うか南米)への移民を推奨したのでしょうか?
その頃の政情などがわからないので、何とも言えないのですが、私は、絶対に行きたくないと思いました。
なお、来年で日本人移民100周年らしいです。

結局、日本移民資料館には、2時間くらいいました。
かなり真剣に見たため、さすがに疲れましたが、日本語を読めることが、とても嬉しいことでした。
今の私は、少し日本語に飢えているようです。

ホテルで休憩してから、夕食を食べに行きました。
もちろん、日本料理です。
と言っても、スーパーで寿司弁当を買っただけですが。
この寿司弁当は、日本の寿司というより、韓国のキンパブのような感じでした。
この例えは、わかる人にしかわかりませんね。

ホテルに戻り、ブラジル対コロンビアの試合をテレビで見ながら、ゆっくりと過ごしました。
今日は、本当に考えさせられた1日でした。
同じ日本人が、地球の裏側のブラジルまで来て、本当に苦労しながら、現在の地位を確立したことに頭が下がりっぱなしです。
日本の高度成長後に生まれた私にとって、この移民の話は、とても刺激的な話でした。

<今日の支出!>

コカコーラゼロ:3.3R$
地下鉄:2.3R$
移民博物館:4R$
移民博物館の移民機関車:5R$
地下鉄:2.3R$
かき揚げ、春巻、エビの串揚げ2本:10R$
ブラジル日本移民史料館:2.5R$(学割)
インターネットカフェ:3.5R$
ガラナジュース:1.5R$
超ロングソーセージ:5.8R$
寿司弁当:6.6R$
ビール:1.1R$
コカコーラゼロ:1.6R$

合計:49.5R$(ブラジルレアル)約3,554円(1R$=71.8円で計算)


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